住みよい暮らしを創る_神奈川県住宅供給公社30周年記念誌
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神奈)II県住宅供給公社^||周年記念誌少し落ちついてから、『住宅かながわ』を出し始めた。当いたものだ。もっとも、資料の大半は優秀な職員が集めてくれたので、隔月一回の構想と執筆は結構楽しく、桑名さんに理事長を引き継いだ後も担当副知事でいる間はこれを続けた。もりだ。の柱だの襖・障子だの鍵と鍵穴だの、住居に関するあらゆることをテーマに、調べるだけ調べ、くだけるだけくだいて書が「供給公社」になって満一年のときだ。超ベテランの矢柴さんが多年専任でやられたあとを、ほかに二つの公社を持つ、ズブの素人の私に兼務でやらせるとは、どだい無茶な話だが、私が副知事就任と同時に理事長を仰せつかったのは、公社少なくとも週一日は公社に身柄を預けて、一生懸命勤めたつ時の紙面は四頁以上で、親しみを持たせるため「住宅コント」を提案したら、結局毎号、自分で書く羽目になった。屋根だ一番大きな思い出は、若葉台用地の買収だろう。あらゆる面で理想的な団地づくりを計画して、売り渋る地主側と何回も自ら折衝した。病中、徹夜で代表のA氏に ''ラブレター"を書いたこともある。最終妥結の夜明け、茶碗酒をくみ交わ し、互いの労をたたえて帰宅したら、そのまま倒れてしまった。いま、計画どおりの団地建設が進んでいるのを見て、比較的安い単価で提供してくれた地主さん方にも、公約が果せたと喜んでいる。住宅コントと若葉台と理事長 42. 6.30-46. 6.1佐々井典比古氏んを経てきました。その時代における生活水準や社会環境お戦後の庶民住宅を確保する目的で逸早く設立された公社が、創立30周年をお迎えすることに対し深甚の敬意を表し、心からお祝い申しあげます。戦後の住宅事情は今更申しあげるまでもなく、戦災によって廃墟と化した悲惨の中から立上がり、今日まで幾多の変せよび文化の進展に伴って質や構造に大きな変化をもたらしてまいりましたが、いつの時代にも住宅政策は、難題が続出しご苦労の多い事業かと存じます。私の公社在職は、わずかでありましたが、当時第一次オイルショックによって、経済の大変動を迎え従来の計画を大幅に修正の止むなきに至りました。土地の確保に対する見通しが益々困難になることが予測され、適地を求めるため、土地条件の調査を初め、土地情報にその活路を求め、最大の努力を傾注いたしました。たまたま、横須賀の大津刑務所の移転の話があり、その跡地が住宅地として最適であることから、用地確保のため部内の多少の異論を押切り、公社が刑務所を建築する結果となりました。これは公社歴史に残る特出すべき思い出の一つであります。全国の住宅公社のなかで、今日まで顕著な業績を残している当公社の30周年記念に当たり、一層充実した事業を遂行されることを期待してお祝いの言葉といたします。お祝いのことば理事長 46. 6. 2~51.6.29桑名精二氏

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