住みよい暮らしを創る_神奈川県住宅供給公社30周年記念誌
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さんと鴇田さんとの間のつなぎの役目であった。副知事との兼務で、しかも半年という短い勤務であったので、歴代理事長の列に加えられるのはなんとも申訳ない思いである。ところで、当時は住宅の需要が低調で、毎週開かれる役員会で、湯河原の賃貸住宅の入居状況と藤沢西部団地の中層分譲住宅の分譲実績の報告がなされ、その促進対策をいかにすべきかが毎回の役員会の議題となっていた記憶がある。昨今住宅建設の事業は、用地取得難、地価の高騰、環境問題などのぼか、地元市町村の宅地等開発要綱との対応で、極めてき5びしく苦しい状況下におかれている。公共事業の中で、そういう意味で最も困難なものが住宅行政であると思う。いろいろ御苦労も多いと思いますが、皆様の御健勝と御健闘を祈ります。私が当公社の理事長を勤めたのは、昭和51年の後半、桑名 理事長 51.6.30-51.12.31曽山皓氏質廉価なものであ,れば、売れないはずはないという期待をこめて、建設にスタートをした。しおのものがあった。二年半の在任は、それ程長い期間ではない。その間、公社三十年の歴史の中で、一つの汚点として残った、職員の不祥事件は、極めて衝撃的な出来事で、私の脳裏から消え去らないだろう。絶後としたいと願うのみ。昭和五十二年の始め、どの位の在庫を抱えていたか。造れば売れた時代が去って、世はいつの間にか、買手市場の時代になっていた。滞荷一掃が当面する重大課題であった。営業担当部を独立させたのも、この年だし、姑息なことだが、建設業者にも呼びかけて、販売促進に一役買ってもらうなど、いささか、きわどい動きをしたことなどを思い起こさせる。そんな時でもあって、若葉台団地の住宅建設について、ゴーサインを出すかどうかは、一寸した決断を要したものである。自転車操業と言われる公社の経営実態からみて、また良幸いお金をかけた宣伝がきいたか、ざん新な設計がうけたか、環境に心引かれてか、ともかく順調なすべり出しを見たのには、社運をかけてと壮語しただけあって、有難さ、ひと若葉台出発進行神奈川累住宅供給公社^|周年記念誌15思い出

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