住宅屋30年
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、0俵氏は当時、住宅営団の企画課長で、営団閉鎖当時は企画部長、その後整理委員会を経て、神奈川県住宅公社創立当時総務部長として入社した人で、私などは二十数年来のお付合いにも拘らず、氏は一度もこのことにふれなかった。たまたまこの記録を書くため各方面から資料を借りた中から発見したのであって、この論文が当時一千万人餓死説の中で書かれていたということは、全く頭の下がる思いである。昭和二0年末、戦災復興院が発足し、有名な事業家小林一三氏を総裁に、松村光磨次長、進藤武左衛門局長というスタッフで、戦災復興の基本的構想が練られたとき、小林総裁は戦災土地を全部政府が買い上げるという構想を持っていたと伝えられている。この俵論文も復興院に提出されているので、小林氏の共感を呼んだのではないかとも思っている。いずれにしてもこれらの人々が、翌ニ―年一月四日、在任僅かにニヶ月でパージとなり、営団側もまた事業家といわれた加藤理事長の追放で、こうした立派な構想を推進する政治力を失い“俵論文"が全く陽の目を見ることなしに了ったことは、返す返すも残念千万といわざるを得な尤もこの論文は翌ニ―年一0月営団閉鎖ニヶ月前に、かなり修正を加えて、マッカーサー司令部へ提出されているが、当時の司令部の中には一切の権力をとり除くという思想があり、農地開し31

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