採用情報

2021-03-31

100年企業を目指し、「夢」をつないでいく 仲野 直哉


専務理事 平成2年入社
 

Q1:神奈川県住宅供給公社を就職先として選んだ理由を教えてください。

就職活動をしたのは、バブル真っ只中の平成元年で、売り手市場の時でした。家族や親戚の多くが建設業関連の自営業をしており、休みが不規則で景気に左右されるのを見て、安定している公務員に憧れ、県の職員採用試験を受けようと思いましたが、家族や親戚から公務員には向いていないと言われてしまいました。全国的に再開発や新規開発が盛んに行われていた時期であり、まちづくりに関心があったので、不動産関係を中心に会社訪問をしましたが、次第に生まれ育った横浜や神奈川を離れたくないという思いが強くなりました。数社内定を受け、内定拘束日が迫るにつれ、どうしようと悩む時に大学の就職課で当公社の募集を見つけました。
当時は会社訪問をすればその場で内定をもらえるような時代。当然公社も会社訪問時に内定をもらえるものと思っていましたが、違いました(笑)。売り手市場だろうが、しっかり試験や面接がある。民間と比べ、かなり遅いスケジュールでしたが、晴れて採用となりました。家族や親戚も仕事を通じて公社のことは知っていたので、好意的に受け止めてもらい安堵しました。

地元、神奈川県が大好きです。
 

Q2:入社して30年、職員としての人生を振り返りどのようなお気持ちですか。

今でも覚えているのが、入社時の上司が「仕事には夢がないといけない」と語っていたことです。再開発事業を担当する部署に配属となり、「酒を飲むのも仕事」という雰囲気があった時代だったので、毎晩のように飲みに行きました。こっぴどく叱られた日でも、仕事が終わると上司から声がかかり、注意されたことをフォローしてもらいながら、上司の仕事に対する「夢」を聞いていたものです。上司は厳しかったですよ。同じ部に建設省(当時)から派遣されていた上司や大手生命保険から出向されている方、建設省に出向していた先輩もいらして、いろんなことを教わり、書類の書き方ひとつとってもきちんとした仕事が求められました。再開発事業は地権者や住民、行政との連携も大事。この時にお世話になった方々や仕事のやり方がその後の公社人生のベースになっていますね。
入社3年目に結婚したのですが、新婚旅行で成田から旅立つ時に財務課(当時)への異動の内示を受け、暗くなったことを覚えています。財務課は社内でも残業の多い部署ですから(笑)。でも、財務では公社の予算や資金の流れを概ね理解することができました。その後、企画調整課(当時)では工場跡地の事業化を若手職員で検討することになり、そのリーダーに指名されたのもいい勉強になりました。それから当時公社のメイン事業である分譲事業を行う部署に配属され、用地の管理から行政協議、近隣交渉、事業費等を担当するのですが、もうこの頃はバブル崩壊で、投資した金額に見合う回収ができず、仕事をすればするほど赤字が顕在化し、損失がふくらむ状況でした。そんなさなかに再び財務、経営を担当する部署に転属となった時は、業績の悪化で経営危機に直面し資金繰りに奔走しました。今まで無担保無保証で銀行から融資を受けていた資金調達は、不良債権が大きな社会問題のなっていた中で公社も民間会社同様に厳しい審査が必要となり、不動産担保や県の損失補償を求められました。各部署から毎月報告される資金見込みに間違いがあると、先輩だろうがお構いなしに「何で違う」と注意したこともありました。先輩からは仲野の言動を見たほうが公社の経営状況が分かるとまで言われたこともありましたね。当時まだ40歳前だったと記憶していますが、当時の理事長にも酒席で率直な意見を言い過ぎ、朝一番に理事長室の前で待ち平謝りした事もあります(笑)。そんな私を導いてくれた上司や、見守ってくれた同僚、後輩に本当に恵まれました。本当に感謝しています。真剣に取り組む者を認める社風が公社にあると思います。

先輩たちと飲みに行くと「夢」を語ってくれました。
 

Q3:記憶に残る印象的な出来事を教えてください。

30年の公社人生の中で「夢」を持てない時期がありました。それは、公社としての役割は終わったので、公社の費用で、公社の事業や資産を民間に譲渡し、組織の解散や清算手続きをしなさいという、いわゆる公社の民営化基本方針が県から出された時です。公社がなくなるのですから公社で共に働いてきた仲間たちは売却先の会社に散り散りばらばらになってしまうし、もう公社の仕事はできなくなってしまうわけです。当時民間から公社に初めて就任された理事長から、企画財務課長だったプロパーの私がなぜか民営化推進室長に命ぜられ、民営化を進めていくことになりました。その後、この方針では当然職員のモチベーションが上がらないわけで、世の中の状況の変化等もあって、譲渡清算型の民営化から公社を株式会社に移行する方針に変わり、銀行や監査法人、シンクタンクなど様々な方にアドバイスをいただきながら公社が株式会社となって生き残る道を探りました。公社設立の根拠となっている「地方住宅供給公社法」には破産又は設立認可取消し以外の解散は認められず、特別法人から株式会社への移行手続きも規定されていないので、法改正が必要なこと、また、我々が手掛ける公的な事業や資産がどうしても民営化に馴染まないこと、さらにはリーマンショックや東日本大震災が発生し、我が国が人口減少・超少子高齢社会に突入したことなどを受けて、公共的な役割の重要性が改めて見直されてきたなどの結果、民営化の方針は廃止となりました。業績悪化による経営改善を進め、民営化が検討されていた間、借入金返済を最優先とし、新たな事業着手は原則禁止としたため、老朽化した建物の建替えや大規模修繕も十分出来ずにいました。しかし、2020年度で県の損失補償付きの借入金や県からの借入金を全額償還し、県からの利子補給も終了したことで、県からの財政的な自立を果たし、ようやくこれからのまちづくりや新たな暮らしといった公社本来の事業を本格的に再開させる環境が整いました。
実は民営化の話がある前から、格付け機関から信用格付けの取得に取り組んでいました。当時の上司が民間銀行出身で格付け機関にご出向された経験があって、今の経営改善が進んできた公社なら高い格付けの取得が期待できるので、そうなれば、県の損失補償なしに無担保無保証の社債を発行することができ、しかも、市場金利からすると今よりも低いコストで資金調達できるということで、一緒に資料を作り格付け取得に向けた準備を進めていました。いよいよ取得という段階で、2005年度に県から民営化方針が出され、やむなく断念。ただ、どうしても諦めきれなかったので、その後、水面下で格付け機関との調整を進め、民営化計画が廃止されると同時に動き出し、2014年に日本格付研究所から評価「AA-」(現在はAA+に格上げ)を無事取得できた時は、長年の夢が叶い本当に嬉しかったですね。これがなければ、県からの財政的自立が果たせなかったわけですから。
業績悪化や民営化などの問題を経て今の公社があります。厳しい時代があったからこそ、部下に対し「仕事はボランティアではない!」と一喝することも。公社は税金で運営しているのではありません。事業を継続するために、また、公共的役割を果たしていくためにも、一定の利益やキャッシュフローが必要。自分の給料は自分で稼ぐという意識を忘れてはいけないのです。

公社マンとしてのDNAが受け継がれています

Q4:これからの公社、そして公社への就職を考える方に一言お願いします。

「儲かれば良い」という時代から、地球環境に配慮した持続可能な社会へと価値観が変化する中で、ますます我々のような社会的企業に期待が集まるのではないでしょうか。公社は戦後の焼け野原となった横浜の地に、燃えない鉄筋コンクリートの建物を作る都市の不燃化と戦後復興の人口増加に対応する住宅を供給することを目的に設立されました。今まで賃貸、分譲合わせて約8万戸の住宅を供給し、事業手法としても大規模団地開発だけでなく区画整理や再開発などを行い、公的機関ではいち早く高齢者事業をスタートするなど時代の要請に応えてきた歴史があります。新型コロナウイルス感染症による時代の変わり目、新しい日常、多様な生活様式にシフトしようとする時代に、ニーズを先取りした住宅や暮らしを提供するという公社の役割を果たしていきたいですね。
職員にはこのような公共的役割を果たすという「公社のDNA」が脈々と受け継がれていますと思います。最近では、ただ住宅団地を供給するだけでなく、地域の方々や市町村、大学等と連携して、団地再生、地域創生に向けた新しい事業や取り組みをなども行っています。これから入社する方が私のように30年務めると創立100周年を迎えます。私が30年も務めることができたのは、先輩方が事業をやり環境を整えてくれたおかげです。我々も新入社員のみなさんが30年間働けるような公社をつくっていきたいと思います。それが私の今の夢でもあります。神奈川県が好き、不動産業や街づくりに興味がある、社会課題に挑戦したい、そういう方は公社のホームページを見てください。面接会場でお会いできることを楽しみにしています!

公社のスキー部に所属している仲野さん。なかなか決まってます!


スキー部のメンバーで乾杯!

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